お遍路の基本

弘法大師は何をした人?

弘法大師は平安時代初期のお坊さんです。
密教を学ぶために唐(中国)へ渡り、帰国後に真言宗という宗派を開きました。仏教を広めることに力を尽くし、数々の功績を残しています。

42歳の時、人々に災難が及ばないように四国の色々なところに霊場を作ったのが四国霊場。大師が仏となった後に弟子がその軌跡を巡ったのが霊場巡りの始まりと言われています。

弘法大師の生涯

774年
讃岐国(香川県善通寺市)で地方豪族の子として生まれる。幼名は真魚。
792年
長岡京に上り佐伯院に滞在。やがて京の大学寮に入るがそこでの勉強に飽き足らず、山に入り仏門修行へ身を投じる。
804年
唐の国(現在の中国)へ遣唐使の修行僧として渡り、密教を学ぶ。2年の修行ののちに日本へ帰国する。
810年
薬子の変(平城上皇と嵯峨天皇の対立)の際に、嵯峨天皇の側につき祈祷を行う。東大寺第十代別当(長官)に就任する。
816年
嵯峨天皇より高野山を賜り、修行場として寺を建てる。
821年
讃岐国にある満濃池の改修を指揮する。
823年
朝廷より東寺を賜り、真言密教の道場とする。
824年
朝廷からの命で雨乞いの儀式を行う。
828年
私学「綜芸種智院しゅげいしゅちいん」を創設。四十八文字の「いろは歌」の仮名文字を作られる。
835年
3月21日寅の刻、高野山に於いて御入定される。

空海の生涯~ハチハチブログ~

空海(弘法大師)の数々のエピソードを紹介していきます。

  1. 誕生から唐に渡る前まで
  2. 唐にて、密教の第八代の伝法者となる
  3. 入京、国家鎮護祈祷、そして高野山開創
  4. 四国霊場の開創・満濃池の工事
  5. 晩年の空海