ハチハチ編集部

四国八十八カ所のお遍路あれこれ、情報発信します!

空海の生涯・その4〜四国霊場の開創・満濃池の工事〜

2018.11.26

    こんにちは!ハチハチ編集部の乙ママです!
    少し間が空いてしまいましたが、空海の生涯を追うシリーズ第4弾です。

    今回は、四国霊場についてと満濃池の工事について書いていきます。

    ※空海の活動、言い伝え、業績、年代などには諸説あります。

     

     

    言い伝えでは、空海が42歳の時、弘仁6年に四国霊場を開創したと言われています。

     

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    が、こちらは史実として残っているわけではありません。

    なので、どのような成り立ちで四国霊場が成立していったとされているかを、
    かいつまんで書いてみます。

    有名な説の1つが、弟子の真済がの遺跡を遍歴したことから始まったとされるもの。

    もともと四国は都から遠く離れており、辺地とされていました。

    空海が生きていた平安時代、四国は修行の地とされていて
    空海自身も四国で修行していました。

    空海の入定後(死後)、真済ら修行僧がその軌跡を追って旅を始めたのが、
    四国遍路の原型だという話があります。

     

    もう1つが伊予の長者・衛門三郎が自らの悪行を反省し、
    空海に会って懺悔したいがために四国を巡ったのが始まり、という説。

    その説についての詳しい話は
    衛門三郎(えもんさぶろう)伝説〜四国遍路の開祖〜」にありますので、
    興味のある方はそちらの記事もぜひお読みください。

     

    こうして時代を追うにつれて空海ゆかりの地以外にも修行道の修行地などが加わり、
    四国全体を修行の場とみなすような修行を修行僧や修験者が実行するようになりました。

    このように僧侶の修行として始まった四国遍路が庶民に広がったのは、
    室町時代と言われています。

     

     

    満濃池は700年頃に作られた農地用のため池ですが、
    弘仁9年に洪水のため堤防が決壊してしまいました。

    朝廷は11年から修築にあたりますが、規模の大きさや人足が集まらないことなどにより
    なかなか完成の見通しが立ちませんでした。

    そこで弘仁12年、高徳をうたわれる空海にその指揮が依頼されることとなりました。

    空海は仏教で名前が知れていただけではなく、
    非常に博識で、あらゆる方面の知識があったそうで、
    唐の留学中も仏教についてだけでなく様々なことを学び日本に持ち帰りました。
    そんな空海が手がけたと言われるものが日本各地に残されています。
    (伝承の中には眉唾なものもありますが…)

    そのうちの1つとして有名なのが、こちらに書いた満濃池の修復技術です。

    修復に用いたのはアーチ型という、当時最先端の技術で、
    現在でもダムに用いられる工法です。
    それによりわずか2ヶ月の短期間で修復を完了させました。

     

    この修復工事にあたって、空海は毎日護摩を焚いて、加持祈祷を行ないました。

    こちらの写真はその場所とされる「護摩壇岩」です。

     

    pixta_16615572_l

     

    ——————————

     

    空海の生涯を追うこのコーナーもいよいよ終盤に差し掛かってきました。

    次回の話もどうぞお楽しみに!

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