こんにちは!ハチハチ編集部乙ママです。
今日は、四国遍路を開いたと言われる衛門三郎の伝説についてです。
前回の記事で少し書きましたが、納め札の由来も衛門三郎伝説からきています。
今回は、もう少し詳しくその伝説について書きたいと思います。
(wikipediaより)
目次
1. 衛門三郎の伝説
2. 順打ち・逆打ち
3. 衛門三郎ゆかりの場所
衛門三郎の伝説
天長年間の頃、伊予を治めていた河野家の一族に衛門三郎という豪農がいました。
三郎はお金持ちで権力もありましたが、強欲で情けがなく、民の人望もありませんでした。
ある時、みすぼらしい僧侶が三郎の家の門弟に現れ托鉢をしようとしました。三郎は下郎に命じてその僧侶を追い返しました。
その後何日も僧侶は現れ都度追い返していましたが、
8日目、堪忍袋の尾が切れた三郎は、僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢を割ってしまいました。
以降、僧侶は現れなくなりました。
その後、三郎の家では不幸が続きました。
8人の子供たちが毎年1人ずつなくなり、ついに全員がなくなってしまいました。
打ちひしがれる三郎の枕元に僧侶が現れ、三郎はその時、僧侶が弘法大師であったことに気がつきました。
以前の振る舞いが自らの不幸を招いたことを悟り、己の行動を深く後悔した三郎は、全てを人へ譲り渡し、お詫びをするために弘法大師を追って四国巡礼の旅に出かけます。
しかし、20回巡礼を重ねても会えず、何としても弘法大師と巡り合いたかった三郎は、それまでとは逆の順番で回ります。
しかし巡礼の途中、徳島の焼山寺(12番札所)の近くで、病に倒れてしまいました。
死を目前にした三郎の前に弘法大師が現れると、三郎は過去の過ちを詫びました。
弘法大師が三郎に望みを聞くと「来世は河野家(愛媛の領主)に生まれ、人の役に立ちたい」という言葉を残していきを引き取りました。弘法大師は路傍の石を拾い「衛門三郎再来」と書き、その手に握らせました。
翌年、河野家に左手を握りしめた男の子が生まれました。両親がお寺へ連れて行き祈祷してもらうと、そこから「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきました。
その石はお寺に納められ、今も大事に祀られています。
順打ち・逆打ち
この伝説が、四国の寺院を巡る四国遍路の起源と言われています。
弘法大師に出会うために生まれた「逆打ち」も、衛門三郎が由来です。
逆打ちだと必ずどこかで弘法大師に出会えると言われ、順打ちの3倍もご利益があると言われています。それも、この伝説から来ているのかもしれません。
衛門三郎ゆかりの場所
伝説で出てくる石を納めているのは51番札所の石手寺です。現在も祀られています。
松山市の石手にあります。
また、松山市恵原町には、衛門三郎の八人の子を祀ったと言われる「八塚(やつづか、「八ツ塚」という表記も)」が今も点在しています。
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四国お遍路にまつわる伝説は数多くありますが、衛門三郎の伝説はある意味、四国お遍路の伝説の中ではキホンのキ!と言ってもいいかもしれませんね。
とは言いつつ、私は以前モニターツアーに取材同行させていただいた時に先達ドライバーの方からこの伝説について初めて伺いました。
このようなお話から、お寺ごとに伝わる面白い伝承などもいろいろ聞かせていただきました。
伝承の由来の場でその由来の話を聞く、という経験は、とても面白かったです。
ぜひ皆さんも、四国の地で伝説に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか?^^