みなさん、こんにちは。
ハチハチ編集部のやよいです。
気がつけば梅雨が明けて、ジリジリ暑くなってきましたね。。
仕事へ行くのも一苦労((;´・ω・)
とりあえず早くスイカが食べたい…笑
さて、今日はそんな暑さにも負けず、なななんと!お遍路を280回巡礼した「中務茂兵衛(なかつかさもへい)」という大先達のお話です。後にも先にもこんなに四国遍路を歩いて巡拝した人はおらず「遍路の鉄人」「生き仏」「遍路の鉄人」と呼ばれています。
茂兵衛さんは1845年(弘化2年)に山口県で生まれました。
1867年22歳の時に家を出て四国八十八ヶ所巡拝を始めたと言われています。
以来二度と故郷には戻らず、生涯巡拝し続け78歳の時、280回目の巡礼で大窪寺を目前にして病で倒れました。この驚異的な回数にも関わらず、納経帳はわずか3冊!ページが朱印で埋まり、くっついて開けないほどだそうです。
この時代ですから電車もバスもなく、歩くしかなかったわけで。
お遍路さんたちは途中で迷ったり、遠回りしながら命がけでお遍路をしていました。
そんな人たちが迷わないよう道標にしていたのが「へんろ石」です。
以前のブログ「四国のみち」にも登場しましたね
茂兵衛さんは42歳の厄年の時、88回目の巡拝を記念してへんろ石を建立し始めました。
石には「周防国大島郡椋野村」という出身地と建立の年月、巡拝回数、氏名と義教という法名、そしてへんろ石としては珍しく句歌が刻まれていました。
「まよう身を 教へて通す」という句をよく好んで選んでいたようです。
また、道中険しい道が続くお遍路さんのためにと近道を示していたり、近くの「舟のりば」から船に乗るといいなど様々なことが書かれています。
最終的にはへんろ石は250基にも及び、歩くしかなかったその時代には大変役に立ったようです。
お遍路は辛く、苦しい思いをして修行しなければ意味がない、と思っている人も多いようですが決してそんなことはありません。
四国遍路は自分と向き合う旅です。誰かが決めた成果ではなく、自分とご先祖様の旅です。
周囲の目を気にせず、自分と向き合いながら大切に巡拝されてくださいね。
茂兵衛さんが残した句のひとつに次のような句があります
「生まれてきて 残れるものとて 石ばかり 我が身は消えし 昔なりけり」
これからも四国遍路を巡礼する「お遍路さん」を茂兵衛さんが建てたへんろ石は案内し続けるのでしょう。