こんにちは!ハチハチブログ編集部の乙ママです!
お遍路を巡る際に、ご当地の美味しいものを楽しみにされる方もいらっしゃるかと思います。
その中でも香川といえば、うどん。
(ちなみに、以前紹介させていただきましたが、88箇所目の大窪寺にも有名なうどん屋さんがありますね)
個人的には「香川にきてさぬきうどんを食べずして何を食べるのか」というくらい、ぜひ味わっていただきたいご当地グルメです。
若干押し付けがましいのは、さぬきうどんへの愛が溢れてるためとご容赦ください笑
今回は、そのさぬきうどんと空海、実はとっても縁があるのです。
そのことについて記事にしてみました!
目次
1.うどんは空海が唐から日本へ持ち帰った?
2.うどんが今のカタチになるまで
3.日本最古のうどんの絵はこんぴらにあり!
1. うどんは空海が唐から日本へ持ち帰った?
このうどんの発祥については諸説ありますが、そのうちの1つに「空海が中国から製法を持ち帰って日本に伝えた」という伝説があり、香川では定説となっています。
空海は、30歳の頃に遣唐使として唐(中国)に渡り、当時の最先端である密教を勉強するのですが、本来20年かけて勉強するはずが2年でマスターして日本に帰ってきます。
空海がこの時唐から持ち帰ったのは仏教のみでなく、農業や土木の技術などさまざまなものがありました。
空海にまつわる伝説や伝承は5000以上あると言われ、その内容も寺院の建立、仏像の彫刻、温泉、ため池、岩石、動植物と、実に多岐にわたっています。
その内の1つが讃岐に持ち帰ったうどんだと言われています。
2. うどんが今のカタチになるまで
さて、空海が持ち帰ったといううどん、もともとは唐菓子の一種「こんとん」であると言われています。
小麦粉を加工して作られたあん入りのお団子のようなものだそうです。
↑こちら、あくまでイメージですが笑…小麦粉を加工して作られたあん入り団子…今でいうとあんまんみたいな感じでしょうかね?
やがて、これを温かい汁に入れて食べるようになり、温飩(おんとん)と呼ばれるようになり、それが転じて「うんとん」→「うどん」になったと言われています。
やがて室町時代に現在のうどんの形になり、江戸時代にかけて庶民に広がっていきました。
出汁と醤油で味付けした汁で食べるようになったのは、全国に醤油が出回るようになった元禄以降で、それまでは味噌煮込みうどんが中心だったと考えられています。
3. 日本最古のうどんの絵はこんぴらにあり!
実際にさぬきうどんが全国に広がるきっかけとなったのは、こんぴら詣でが盛んになり、全国からお参りのために庶民がさぬきを訪れるようになった江戸時代から、と言われています。
当時、庶民は旅を許されてなかったのですが、巡礼のためであれば許可がおり、金比羅参りは庶民の憧れでもありました。
300年前に「金毘羅様」で知られる金刀比羅宮の例大祭の様子を描いた『金毘羅祭礼図屏風』という屏風絵があり、この中に3軒のうどん屋の様子が描かれています。
うどん屋が描かれている絵としては、日本最古の絵と言われ、手打ち作業、包丁切り、客を呼び込んでいる姿などが描かれています。
おいしいさぬきうどんがあるのも空海のおかげ(かも?)と思うと、
美味しさもひとしおですね!
ぜひお遍路で香川へお越しの際には、空海に思いを馳せながらさぬきうどんを召し上がっていただけたらと思います。